2023年10月28日に開幕したプロ野球の日本シリーズ。
阪神対オリックス、実に59年ぶりの“関西対決”で、また両チームの本拠地が阪神電鉄の沿線にあることから、「阪神なんば線シリーズ」とも呼ばれているプロ野球の頂上決戦。記念乗車券がすぐ完売になるほどの盛り上がりです。
10月31日のシリーズ第3戦(阪神甲子園球場)はTBS系で生中継されますが、そこで解説を務めるのが元プロ野球・読売ジャイアンツ投手の槙原寛己さんです。
槙原寛己さんと甲子園と言えば、1985年、阪神タイガースが初の日本一に輝いたシーズン中の巨人阪神戦でバース、掛布、岡田の3連続バックスクリーンへのホームランを打たれた投手として知られています。
今回は槙原寛己さんの経歴と甲子園3連続バックスクリーンホームランについて調べてみました。
槙原寛己さんの経歴
- 名前:槙原 寛己(まきはら ひろみ)
- 生年月日:1963年8月11日
- 出身:愛知県半田市
- 身長:187cm
- ポジション:投手
- 出身高校:愛知県立大府高等学校
- 所属球団:読売ジャイアンツ(1982-2001)
斎藤雅樹さん、桑田真澄さんとともに1990年代の読売ジャイアンツを支えた先発3本柱の一人。
1994年5月18日、史上15人目、平成唯一の完全試合を福岡ドームで達成。(対広島カープ戦)
完全試合達成から28年が経過した2022年4月、ロッテの佐々木朗希投手が槙原さん以来の完全試合を達成したことに伴い、存在が再び注目されることになった。
佐々木朗希投手の完全試合は記憶に新しいところですが、その前は槇原さんまで遡るとはビックリです。それだけすごい記録ということですね。
甲子園3連続バックスクリーンホームラン被弾
槙原寛己さんは1985年4月17日の対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)で佐野元国捕手とバッテリーを組み、7回裏にクリーンナップであるランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布に3者連続でバックスクリーンへの本塁打(バックスクリーン3連発)を喫しました。
槙原寛己さんは阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」をひどく嫌っていた時期があるそうです。
飲食店などで「六甲おろし」のカラオケが流れると、決まって1985年の阪神戦におけるバックスクリーン3連発の際にうなだれる自分の姿が画面に大映しにされ、「いつまで笑い者にしたら気が済むんだ」と憤りを感じていたそうです。
しかしある時期を境に「あれだけのクリーンナップに真っ向勝負した投手は自分だけだ」と誇りに思うようになり、引退後は講演の席などで「バックスクリーン3連発を打たれた槙原です」と笑いを取るネタにする余裕も出来たと話しています。
もう一つの甲子園での伝説とは?
1999年6月12日の対阪神戦(甲子園)で、12回裏同点一死一・三塁の場面で打者の新庄剛志を敬遠しようとしたところ、新庄に敬遠球を打たれサヨナラ負け。なお、槙原さんにとってはこれが現役最後の敬遠でした。
バース・掛布・岡田の3連続被弾、新庄の敬遠球サヨナラ安打は今でも伝説として語り継がれていますが、実際は槙原寛己さんは阪神戦にはめっぽう強く、バックスクリーン3連発の次の試合から4年にかけて8連勝、1つ負けて3年にかけて7連勝、その後も8連勝、1つ負けて5連勝してるように対阪神戦は38勝10敗10完封の好成績を残しています。(対阪神戦での勝率は.792を記録)
プロ初登板での初勝利・初完封も阪神戦であり、初安打も同試合の2打席目で記録したもので、1985年6月28日対阪神戦(甲子園)で放った球団5000号本塁打は、槙原さんが現役時代に唯一打った本塁打です。
このように槙原寛己さんと阪神、そして阪神甲子園球場とは、ふかーい関係があるんですね!
まとめ
今回はプロ野球日本シリーズ・阪神対オリックスの解説を務める槙原寛己さんの経歴と甲子園の3連続バックスクリーンホームランについてご紹介しました。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!!
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